POPCORN 2021.08.02
映画館やテーマパークで一度は食べたことのある定番のお菓子といえば皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?私は間違いなく「ポップコーン!!!」です。
私たちは、ナチュラルなポップコーン「WO!POPCORN!」を販売していますが、身近にあり過ぎて、当たり前の存在になってしまっている「FUN FOOD(楽しい食べ物)」の歴史を紹介したいと思い、今回、記事でご紹介します!
ポップコーンはネイティブアメリカンやメキシコ先住民がトウモロコシを利用し始めた頃から存在していたといわれています。先住民たちの調理方法が起源になります。
ニューメキシコ州では、なんと紀元前3600年頃の遺跡からポップコーンの痕跡が見つかっているのです。紀元前に存在したとは驚きですね!
ただし現在のような作り方ではなく、焚き火の中に乾燥させたトウモロコシの種子を投げ込んで、焚き火から飛び出した物を食べていたようです。
当時の様子を想像すると、焚火の中から「ポンっ!ポンっ!」と飛び出てくるポップコーンに今と同じような「FUN」を感じていたのではないでしょうか?
16世紀以降、アメリカ大陸にやってきたヨーロッパ移民は、先住民からポップコーンのことを知ったそうですが、すぐに広がることはありませんでした。理由として、当時はポップコーンの豆が家畜のエサに利用され始めていたことが要因のようです。
アメリカに渡ったヨーロッパ移民たちは、現地での農業に失敗しながら冬を迎える事態に直面した時、友好的な先住民たちから提供された食材の中にポップコーンが入っていたため、餓死をまぬがれたともいわれています。
大袈裟かもしれませんが、ポップコーンによってつながった命が当時はたくさんあったのかもしれませんね。
時は立ち1848年。
アメリカでは、ポップコーンは辞書に掲載されるほど、一般的なスナックになっていました。サーカスや縁日といったエンターテイメントの場で食べられるようになったのです。
その後、娯楽のひとつの映画館とポップコーンの関係を簡単にお話します。それは世界恐慌時代(1929年にアメリカで株価が暴落したことをきっかけに起きた世界的な不景気)からといわれています。
初期の無声映画は識字率の関係で来場者が制限されましたが、1927年に音声付きの映画が導入されると、映画館の門戸は大きく開かれました。映画を見るのに読み書きのできる能力を問われなくなったため、1930年には、週の入場者数は9,000万人に達したそうです。
露天商は、自身で機械を買って、劇場に入る前にポップコーンを販売していました。ポップコーンを持って劇場に来るお客様が増加。映画館のオーナーはスナックを売ることの経済的な魅力を無視できなくなってきました。ポップコーンは当時1袋5~10セント。他のあらゆる物価がインフレーションで上がっていく中、ポップコーンは比較的値段が上がらなかったため、安値で買えるポップコーンは映画を見ながら食べる映画館の定番となっていきました。
映画館の定番になった理由に、世界的な事情が関わっていたことを知り、私自身も調べれば調べるほど、興味深い内容で参考になっています。ポップコーンは本当に「FUN FOOD(楽しい食べ物)」だと思いました!
日本にポップコーンが入ってきたのは第二次世界大戦後だといわれております。国内での製造販売もこの時に始まり、当初は米軍向けだったようです。
ただし、トウモロコシを伝えたのはポルトガル人で天正7年(1579年)に長崎に持ち込まれ、
その後、四国の山間地帯、阿蘇や富士の山麓で次第に栽培されていた歴史も。本格的な栽培は明治以降で、アメリカから多くの優良品種を輸入し、栽培に適した北海道に定着しています。
明治以降に日本でもポップコーンが食べられていた可能性はありますね?歴史をみていくと「ワクワクしてきます!」もしかしたら歴史上のあの人物も、元気の源にポップコーンを食べていたかも???
そんな妄想をしている私でした。